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サクラノ詩 感想

 

サクラノ詩 サウンドトラックCD 2枚組

サクラノ詩 サウンドトラックCD 2枚組

 

 

批評空間で超高評価と超低評価の差が激しく(まあ高評価が流石に圧倒的に多いのだが)、信者とアンチのぶつかり合いでもよく引き合いに出されている本作品。自分にとってはこの作品をやるには3年は早かったと実感しているものの、それでも評価を下すとしたら、1~10段階ならば9か10を付けるだろう。
単なるノベルゲームとしての面白さは個人的に二章と雫√辺りが面白い、ワクワクするといった感情が最高潮だった。要は三次曲線的な面白さで、四章からは面白さというよりは、ユーザーに伝えたいテーマを描いているようにも思えた。
ちなみに萌えゲー大賞の2015年は自分にとっては当たり年であったとも言える。金賞が「サクラノ詩」、銀賞が「見上げてごらん、夜空の星を」の二作品が入っており、両作品とも画的に非常に綺麗な作品なので興味を持っていただけたのなら手に取ってほしい。

本編の感想に入る前に、音楽と機能関連について。

OPの「櫻ノ詩」はプレイする前とプレイした後では印象がかなり変化する。登場人物らに関することを示唆する場面が多く、良く分かるのは圭と真琴のところだろう。歌詞と直哉の台詞が合致していて、映像も意識しているように作られている。曲単体でも素晴らしいので抵抗が無いのであれば聴いてほしい。
EDも各√で分かれており、完成度が高い。真琴√が一番印象に残っている曲だ。
BGMは流石という感じで、穏やかな雰囲気のものが多い。たぶん、聞き入ってしまわないように作られ、文章に集中してほしいという意味も込められているのだろうと感じる。

機能について少し不満があったのはテキスト回想によるシーンジャンプが付いてなかったことである。
銀賞の「見上げてごらん、夜空の星を」が二か月遅れて発売したが、テキスト回想からシーンジャンプが可能だったので、同じ文章をシーンまで巻き戻して聞くことが出来ていた。
しかし、本作品はその機能が無かったので文章を読んでいて、「前の文章ってどんな感じだったっけ?」と思い出してシーンジャンプしたい場面がいくつもあったので残念。こまめにセーブしてもすぐパンパンになってしまうことが多いので。
ま、「回想でクリックすればボイス聞けるじゃないか」と言われたらそこまでです。
その他は良好。必要なものはすべて揃っていますので。

ちなみに自分は哲学などに関しての知識は無いため、出てきた情報をそのまま受け取って考察しか出来ない。単調で浅い文章を並べるだけなのでそこは了承して頂きたい。


Ⅰ.価値観の相違における評価の差


最初に言ったように、このサクラノ詩は超高評価と超低評価で分かれている。自分はこの結果を解釈する上で、サクラノ詩は「よくあるエロゲー」ではない「異質なエロゲー」だと思っている。
恋愛を絡めたギャルゲー、エロゲーラノベでは「主人公がヒロインを救って結ばれて終わり」という最終的な目標を軸に仕上げられていることが多い。その過程にヒロインが困っているときに主人公が乗り越えるための手ほどきをしてあげることで好印象を与える。最初から一目ぼれというパターンもあるが、ハッピーエンドに至るまでの過程に障害を乗り越えるため、主人公と協力し合ったり助けたり、と様々なことが起こるのである。これが「よくあるエロゲー(ギャルゲー、ラノベ)」の姿だと個人的には思っている。
まさにこのような主人公はヒロインにとってのヒーローであり、支えてくれる存在ともいえよう。
これが「よくあるエロゲー」を想像するユーザーにとっての主人公像となる。

サクラノ詩も同様に、二章までは他のゲームでいう日常パートで、三章から個別√へと分岐する。この個別に関しては上記のように「よくあるエロゲー」のような展開が多く繰り広げられる反面、中でも異質な部分も存在しており、それが光っているのは真琴√だと思われる。
真琴は直哉に絵を描いてほしいというが、直哉は絵を描かない。真琴は圭に直哉の代わりに絵を完成を手伝ってあげたい(意訳)というが、圭は自分の絵を完成させることが出来ない。
つまり、ヒロインの願いが全くといって叶わなかった真琴だが、最終的には直哉と結ばれて終わる。
また、直哉は頑なに絵を描かないという姿も、主人公らしくないのだが、スポットに当たっている真琴が、芸術家の圭と直哉の心を動かせずに居たという部分が強調されていると感じた。

しかし、四章からのサクラノ詩はそういう要素が消え始め、父親にスポットを当てたシーンが入っていき、五章に入ると直哉は圭に触発されて「共に絵で世界を目指す」という目標を持って絵を完成させた途端に、圭の死によってその目標を失う。その後、記憶を失うほどのヤケ酒をし、血まみれとなり、藍に抱きかかえられながらそれでも強くあろうとするのだ。まさに主人公の弱さが露呈しまくっていながらも、強くあろうとする姿や他人に自分のやっていたことは間違いかと選択の正誤を問いただす姿はどちらかと言えば滑稽だろう。

『人は一人で生まれて、一人で死んでいく』
『その間だけでも、その寂しさが無くなれば良いと考える』
『もしかしたら、愛っていうのはそういうことなのかもしれない……って思うんだよ』

これは五章の選択肢「ああ、間違っていた」の後における藍が直哉に対して言った台詞である。
選択肢における「ああ、間違っていた」は露呈した弱さを、ヒーローで居続け自分を失ってまで助ける姿を間違っていたと一度でも認めることで、直哉は誰かに支えてもらう、誰かに甘える、誰かの前では弱い姿を見せることでヒーローをやめ、愛を手に入れて藍と結ばれる。姉として圭を失った藍と親友ながらもライバルを失った直哉は時には支え、支えてもらい寄り添って生きていく。主人公の像が崩れながらも、協力しながら生きていく展開はこれも「よくあるエロゲー」とも言える。
だが、「分からない」という選択肢は最終章に続き、幸福を与え続けてきたヒーローが初めて幸福とは何かということを探していくのだ。

最終章の六章では三章までのサクラノ詩のイメージを持ち続けたままでいると違和感を感じていき、六章の最後に藍と恋人ではなく、家族の関係になる場面で困惑を引き起こして終わるために良く分からなかったという感想に陥る。あくまで草薙直哉は草薙直哉なのであり、自分の分身ではないという視点でプレイすることが重要なのである。
自分はあまり主人公に感情移入しない第三者視点から見るタイプだったのであまり問題はなかったが、最初はあまり理解せずに終わった。各章を細かに見直して考察サイトを巡り、今の感想に至っている。
ただし、直哉を自分の分身だと思ってプレイするタイプのユーザーでサクラノ詩を高評価を付けられる人間は18歳のような若い年齢ではなく、20代後半のような六章の直哉と同年代で、「大人になってようやくわかる学生時代の輝き」であり、「あの頃は凄く楽しかった」と言えるような人間なんだろうと思われる。だから、自分はせめて3年遅ければと最初に言ったのは社会に出ていき、直哉と同じ年齢、社会人としての年数になった時になるからである。
割っても、たぶん高校生活を送っている人間にとっては良い感想は得られないと勝手に思ってますよ。あ、割れは犯罪ですのでやめましょう。


Ⅱ.幸福とは何か?


最終章の六章で直哉は幸福について探し求め、辿り着いたのはどんな人間でも、どんな状況でも人は幸福になれるということだ。
ブルバギの連中に美術部全員で作り上げた「櫻達の足跡」を汚されたのにも関わらず、誰もが見ても美しいと思える一瞬の輝きを放つ「新生・櫻達の足跡」を完成させて、やられっぱなしだった直哉が絵によるカウンターパンチ(物理も)を食らわせて、清々しいヒーローっぷりを見せつける。
櫻達の足跡を完成させた後にも、ひたすら試行錯誤を無数に行ってきて、それをいざ作品として完成させた時、誰もが今の彼は幸福であると思った後に、圭の死の時と同じように酒に溺れてしまう。
この時に直哉が藍に最高と最悪は常に存在し続けると語る。つまり、互いに切っても切り離すことが出来ないからこそ、生きている証なのだと。

「弱き神はどんな状況でも人々に幸福を与える」ということに気付いた直哉は今ここにある幸福を、今まで歩んできて支えられてきた幸福を拾って生きていく。だから大学の教師として、今住んでいるこの地元で暮らして幸福を与え続け、幸福を拾って生きていくのだ。

では、ここでの稟が求める「強き神は果たしてどのような存在なのか?」と問われたら何も言うことは出来ない。
稟が追い求めている強き神はここではない何処かにあるのだから、それを追い求めて海外に出ていく。作中でも語られたポール・ゴーギャンのようにだ。たぶん、それに気付けた彼女が絵を描いたときに、直哉の幸福の日常というものは崩壊するのだと思う。また、幸福な日常の崩壊が稟の夢である「直哉と共に絵を描くこと」に繋がるのではないか。
ある意味では圭の代わりになろうとしているのだろうが、果たして本当にそのようになるのかはサクラノ刻のお楽しみである。ちなみにここでの神は幸福という意味。
だが、その神を追い求めている稟でさえも、弱き神を追い求めている描写もあり、実際はどうなのかはわからないので、稟というキャラが正直掴めないのだ。

正直、プレイしててこれが幸福な生と言われたら微妙だが、幸せの形というものは人それぞれであり、直哉はこれを選んだということなのだろう。かといって、自分にとっての幸福な生というものは何かはわからないし、一生気づかないで終わるのかもしれない。でも、自分は気付かないうちに幸福な生を感じているんだと思う。だから、あと3年後はどんな感想になっているのかと気になっているのだ。

最終的に戻ってくるのはテーマである「”幸福に生きよ”のその先、”幸福な生”を体現する”日常”反哲学的でごく自然な日常の物語とはーー」が、「在りし日」なのではないか。
これに回帰することで、直哉と藍はどこまでも続く道を二人で歩んでいき、その姿を見て藍は笑う。

「その時、かすかに櫻の詩が聞こえた」

これはサクラノ詩最後の文章である。
「あの頃の俺って凄かったんだぜ」と昔を自慢する人も「今の俺ってすげえだろ」と今を自慢する人も、幸福という意味では直哉と同じなのだ。最高があって、最悪がある。苦しいから、悔しいからそれに抗って生きている。何も感じられなくなったのなら死んだも同然であり、その中で在りし日は自分たちの傍で瞬間を閉じ込めたように作品として、美として、記憶として、そして体のどこかに染みついて離れないのだと思う。
櫻の詩というのは弱き神による日常の中であふれている幸福の隠喩だとすれば藍が笑った時、幸福が訪れたという意味に取れるのではないか。


Ⅲ.まとめ


自分はエロゲをそこまでプレイしたことはない(両手で数えられる程度)が、人並みの感性というものは持っているつもりである。この作品をプレイして、考えさせられない人間は少ないと感じた。
友人から進められて就活終わった後にプレイしたが、就活で自分のことを見つめ直した自分がさらに「サクラノ詩」によって見つめ直されるとは思わなかった。萌えゲー大賞の金賞ということでどちらかと言えば、学園モノの青春というありがちなものだとは思っていたのだが……。
サクラノ詩」の後にプレイした「あの晴れわたる空より高く」のTRUE√は誰とも結ばれない反面、ライバルと仲間が協力して自分たちのロケットを打ち上げるという目標に向かっていった。しかし、「サクラノ詩」はTRUE√も誰とも結ばれないが、かと言って明確な目標も無い。哲学的で、幸福とは何か、人生とは何か、生きるとは何か、と問い詰めていく物語で意味が込められているのを感じた。

また、エロゲの中でもとにかく文章量が多い。普通にプレイしても滅茶苦茶時間がかかり、その登場人物の関係性も多く出てくるため、中々理解するのにも一苦労をさせられる。ましてや、哲学だの芸術だの歴史だの印象派だのと美術や歴史で出てきた名前が出てきたので、もっと勉強すべきだったと後悔もしているし、その部分の知識があったのならば、さらにこの作品を楽しめたのだろうと思う。

この作品の見どころと言ったら、やはり雫√だと思う。あれが、直哉を取り巻く環境に大きく繋がるのでプレイする際は一気に駆け抜けてほしい。
自分は何日間もの間、夜の22時頃~朝6時近くまでプレイして就寝→昼に起床して用事をこなして帰宅し、寝る準備まで済ませる→プレイという無茶をしていたが、このくらいではなくとも、一つの√を終わらせるまでは寝ないというくらい駆け抜けてほしい作品だった。
まあ、性格的に√途中でセーブして就寝すると気になって寝れないから仕方がない。

好きなキャラは藍。最初から最後までみんなを見守る姿はまさに先生と言ったところだが、精神的ダメージが受けているところに救いの手を差し伸べるところで心に来てしまった。続編のサクラノ刻でもどうやらヒロイン扱いのようなので同じような展開でのENDか、それとも別な雰囲気でのENDになるかはお楽しみである。
それよりもこの作品は男キャラが全員かっこよすぎる。最初はしょうもないと思っても、行動に関しては裏付けされている。男キャラの中で一番嫌いな意見の多いトーマスに関しては見下すようになる気持ちはわかるんだよな……欲望に忠実なのは良いと思う。

主人公の直哉は自己犠牲の塊で、自分をかなり過小評価している部分がある。それは父親が世界で活躍した芸術家だったことや右腕の感覚を失って絵を描けなくなったことも関係もしているだろう。その反面、彼が作品を残すときには「一瞬だけではなく、ずっと誰かの心に残る」作品を考え、追い続けて描いてきている。
だが、そこには何かしらの作品との融合、対比、影響によって作り出されたのが多い。
母親の水菜の死を経て中原中也の「春日狂想」に影響を受けて描かれた「櫻日狂想」。
最後の右腕の力を使いきって里奈との共作として描かれた「糸杉と櫻」。
父親の健一郎の「横たわる櫻」をテーマとし、続編の贋作として描かれた「櫻七相図」。
ムーア展に公募して蝶と水面の対比によって描かれた「蝶を夢む」。
ブルバギにより穢された「櫻達の足跡」をセロハンにより別物に描いてみせた「新生・櫻達の足跡」。
これらが人々の心に響く作品を何度も描いてるのを見るに、芸術家・草薙直哉のスタイルと言える。

続編のサクラノ刻も芸術家・草薙直哉のスタイルが見れることを祈るばかりである。圭の死をモチーフにして描く作品や稟に影響されて作る作品があるのだろうか……?